号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

*

全員集合!

   

脱退してかつ死去したメンバーは一人しかいない。
C.Arai(1928-2000)だ。

そのAraiの葬儀の時にバンドリーダーが読んだ弔事。

「出発間際の忙しい時に、とあんたは大変怒るかもしれないけど、ちょっとお話しましょうや。
去年の暮れに会った時(フジカラーのCM)、あれは良い仕事だったよね。あんたも現場に
入った時より、帰る時の方が元気だったもん。みんなも喜んでた。本当に良い仕事だった。
あれ、覚えてるかな?あのときあんたがさ、『今度は医者の言うことをよく聞いて、早く飲んで
も良いってお墨付きをもらってくるから、一緒に飲もう』って約束したこと。結果的にあれが
最期の言葉になっちゃったよね。今日ねえ、みんな来たかったろうけど、そうもいかなくて。
浮世のしがらみって奴で、高木と志村は仕事でね。加藤はさあ、これが笑っちゃうんだけど、
渋滞にはまっちゃって。あいつらしいな。あんたが行っちまうのを遅らせようとしてねえ。
いまハラハラ、ドキドキして向かっているとこだと思うよ。あんたもあれでねえ、よっぽど偉い
人というか、変な人というか…。カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変
な時に乗っていてくれて、それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金
も儲かるぞという時にあんた、辞めちゃった。あの時はあんたの人生哲学が理解できなかっ
た。でも『極力みんなに迷惑かけないように、半年、お礼奉公する』って言って、辞めると
言ってからも半年は続けてくれた。あの半年のあんたは凄かった。あれは凄かった。鬼気
迫るというのかな、本当に面白かった。あんまり面白かったから、気が変わって『残る』と言う
かなとも思ったけれど、あんたとうとう言わなかったね。スパッと辞めちゃった。もうあんたは
行くんだよな、止めても無駄だというのは分かってはいるけど、こっちはあの時と同じ立場に
いるような気がするよ。行くな、とは言わないぜ。でも途中、気を付けてな。飲もうぜ、絶対に
飲むんだよ。飲まなきゃ駄目だ。飲むんだよ。おい、飲むんだぞ!長話すると嫌われるから、
この辺でな。飲む場所はあんたが決めといてくれ。じゃあ、いずれ」

4年後、そのリーダーのC.Ikariya(1931-2004)も後を追うように他界した。合掌。

267 :リーダーIkariyaは吝嗇、傲慢、妥協しない性格で、若い頃はメンバーからつとに嫌われていたという。
そんな彼の葬儀に際し、メンバーC.Kato(1943-)の弔辞。

長さん…。随分急いで向こうに行っちゃったんだね。あんた、最後の最後に嘘ついたよなぁ。
去年の12月に『大爆笑』のオープニング撮るときに久しぶりに会って、「40周年の記念で
『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って。長さん「いいね」って、「やろうよ」って、
そう言ったよね。うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。だけどその約束を守れ
ないうちに逝っちゃったね。
40年間一生懸命、一生懸命走ってきて絶対に妥協を許さない長さんだったよな。でも40年間
本当に気を抜かないで一生懸命やってきたんだと思う。本当にご苦労さん。これから俺たち
4人でドリフターズまだやっていくよ。あんたが残した、財産だからね。
荒井注さんが亡くなった時、長さん言ってたよな。「俺も、もうじきそっちに行くから、一緒に
酒飲もう」って。本当にそんな日が来てしまったな。でもちょっと早すぎたんじゃないか?
もう少し我慢してほしかったな。まぁ2人してつもる話もあるだろうけど、あまり深酒しないよう
に。 それから、いきなりそっちから「全員集合!」と言われても俺たち4人は集まれないからね。
たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、その時はやっぱりまた向こうで
コントをやろうよ。
40年間本当にありがとう。そしてご苦労さんでした。何も心配なくゆっくり休んでちょうだい。
さようなら。

 - その他泣ける話

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