号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

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約束の日

   

70年代の初め、私の家族は、関西のとある新興住宅地に引っ越してきた。

山を切り開いて造られた町は、自然に溢れ、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、経済成長期の中、これほど幸せな環境はなかった。

私は、その町の新しい中学校に入学し、新しい友達が毎日増えていく、楽しい日々を過ごしていた。

2年生の1学期のこと。お昼休みに、私は女の子に呼び出された。

彼女はノートを差し出して、これに日記を書けと言う。

私は、これが何を意味するのかがよく分からなかった。

家に帰ってからノートを開けてみると、彼女からのメッセージと前日の日記が書かれていた。

それまで、日記は正月三箇日しか続かず、昼食と夕食のメニューしか書いていなかった私は、困り果てながらも、その日のページを埋めて、翌日、彼女に渡した。

70年代、このような交換日記が流行っていた。

今となっては、自分が何を書いていたのか全く覚えていない。

テレビとか、友達のこととか、他愛も無い事を書きつづけていたのだと思う。

オバQがムーミンに「変身」する漫画とか、駄洒落とか。それぐらいしか書けなかったと思う。

それでも、1日置きに日記を書いては彼女に渡していた。

彼女が何を書いていたのかも覚えていない。

そして、そんな日々が1ヶ月ほど続いた。

あれは夏休みの1週間前の土曜日だったと思う。

学校が終って、友達たちと近くの小川で遊んでいた。

友達と別れた帰り道、「サトウ君」と呼ぶ声がする。

振り向くと交換日記の彼女が、家の前でホースで水をまいていた。

彼女は、いたって機嫌が良かった。

チョコレートの懸賞でコダックのカメラが当たったというのだ。

1時間ぐらい話したと思う。

帰る前、彼女がそのカメラで「写して」と言うので写真を1枚撮った。

そして、次ぎの日の日曜日に会うことにしたのである。

「約束よ」と彼女は言った。

次ぎの日も暑かった。

大汗をかいて公園に自転車で行った。

そして彼女が現れるのを待った。

しかし、待てども彼女は来なかった。

約束したのにと呟きながら、私はひどくがっかりして夕方、家路についた。

月曜日、彼女は学校を休んだ。

組の友達に話すと、
「デートでふられたんか」
と笑われた。

デートのつもりは無かった。

いけないことをしてしまったのだろうか?

裏切られたのだろうか?

私は良く分からないまま、腹を立てた。

彼女は、期末まで、とうとう学校を休んだままだった。

夏休みに入ると、私は、田舎の親戚の家に預けられることになった。

父が急に転勤することになり、準備のために家はどたばたしていた。

関西に戻って来たのは、2学期が始まる約1週間前だった。

帰ると、「彼女」が大変な病気で入院していてるという。

私は驚いた。

そして、日曜日に市民病院にお見舞いに行くことになった。

私は、事の重大さを全く理解していなかった。

母と病院に行くと、彼女の母親が待っていた。

そして、私に
「来てくれてありがとう」
と何度も頭を下げるのだ。

彼女は個室にいた。

部屋に入ると、ベットに横たわる彼女がいた。

彼女は、病の為に疲れ果て、もうぼろぼろだった。

まだ子供だった私は、驚き、恐怖のあまり、走って逃げたのである。

大きな病院の中を走り抜け、玄関の外で震えていた。

すると、彼女の母親がやってきて私の手を取り、

「待って、お願いだから。
 ちょっとでいいから、そばにいてやって」
と言う。

そこへ私の母が来て、いやがる私を無理矢理、彼女の病室まで引っ張って行ったのある。

「ちゃんと優しい言葉をかけてあげるのよ」

と言われ、私は、彼女のベットの横の椅子に座らされた。

一体、どのぐらい病室にいたのかは覚えていない。

それから数週間後、私の家族はイギリスに引っ越すことになってしまった。

イギリスでは、現地の中学、高校に通い、大学を卒業した。

日本を忘れ、日本語も忘れ、ロンドンでイギリス人と共に働いていた。

イギリスでの生活は12年の月日を数えた。

イギリスに行ったのは父の都合だったが、今度は私が、日本に転勤することになった。

そして、また関西に戻って来たのである。

帰国して1年ぐらいして、2年2組の友達と、再会することになった。

しかし、12年もイギリスで過ごした為か、昔の友達と会うと、もう話題が全く合わなかった。

でも、彼女のことを聞くのは、忘れなかった。

 「なんや、サトウ君、知らなかったんや。」

その時、彼女が、私が転校した約1ヶ月後に亡くなったことを始めて知ったのである。

2年2組は、私が引っ越した直後に彼女が死に、その後はクラスから笑顔がぱったりと見られなくなってしまったそうだ。

友人たちと会って数ヶ月後、私は、私がかつて住んでいた町に戻っていた。

そして、彼女の家の前で立ち止まっていた。

ベルを押すと、「はーい」という声が聞こえ、まもなく彼女の母親が出てきた。

私は、何かを言おうとした。

でも、何を言っていいのか分からなかった。

そして、
「すいませんでした」
と一言だけ言うと、逃げ出してしまったのである。

「サトウ君でしょ。待って、お願いだから。」

13年も過ぎているのに、彼女の家に始めて入ると、70年代当時の面影があった。

彼女の母親は、冷たいジュースを勧め、本棚にあった10冊のアルバムを出してきた。

そして、彼女が亡くなるまでの、ことの経緯を話しくれた。

あの日曜日の約束の日、彼女は朝から微熱があり、気分が優れなかったのに、これから出かけると言い出した。

寝てなさいと言う母親と娘は大喧嘩となり、彼女は、飛び出していった。

ところが、10分もしない内に近所の人が駆けつけてきて、彼女が路上で倒れていると伝えた。

暑さの中、失神している彼女を背負って家に連れ帰り、救急車を呼んだ。

最初は原因がわからず、病状はどんどん悪くなっていった。

入院中、彼女はひどくふさぎこんでいたのだが、時々、「勉強用に」と持ってきたノートを見ながら、くすくすと笑う彼女に、母親も最初はそれが何か気がつかなかったらしい。

病状が悪化して、始終眠る彼女の枕もとのノートを手にとって始めて、それが彼女と私が書き綴った交換日記だったことを発見したのだ。

彼女の母親は私の母親に会いに行き、娘の病状を説明した。

それが、私が田舎から戻ってくる数日前だったのである。

「あの時、サトウ君が『がんばってね』と言ってくれたので、その後、ちょっとは回復して、後数日しかないと言われていたのに1ヶ月半も持ったのよ。」

アルバムを開けると、みんなから愛され、大切にされて育った彼女の写真が、ページを捲るごとに見られた。

そして、最後のページには、あの土曜日に私が写した彼女の笑顔が飾られていた。

「あの交換日記はね、娘が天国に持って行ったわ。」

大粒の涙が止まらなかった。

あれからさらに13年。

私は、骨髄バンクへのドナー登録のために秋葉原の献血センターに行った。

ひどく寒い日だった。

採血を済まし、10ccの私の血がトレイに置かれているのをじっと見つめながら、ようやく、生きている意味が分かったような気がした。

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