三頭の像
上野の動物園は、桜の花盛りです。風にぱっと散る花。
お日様に光り輝いて咲く花。
お花見の人たちがどっと押し寄せて、動物園は、砂埃を巻き上げて混み合っていました。
象の檻の前の広場では、今、2頭の象が、芸当の真っ最中です。
長い鼻を、天に向けて、日の丸の旗を振ったり、カラランランと鈴を振り鳴らしたり、よたよたと、丸太渡りをしたりして、大勢の見物人を、わあわあと喜ばせています。
その賑やかな広場から、少し離れた所に、一つの石のお墓があります。
あまり気の付く人はありませんが、動物園で死んだ動物たちを、お祭りしてあるお墓です。
お天気の良い日は、いつも、暖かそうに、お日様の光を浴びています。
ある日。
動物園の人が、その石のお墓をしみじみと撫で回して、わたくしに、哀しい象の物語を聞かせてくれました。
今、動物園には、三頭の象がいます。
名前を、インデラ、ジャンポー、メナムといいます。
けれども、その前にも、やはり三頭の象がいました。
名前を、ジョン、トンキー、ワンリーといいました。
その頃、日本は、アメリカと戦争をしていました。
戦争がだんだん激しくなって、東京の街には、毎日毎晩、爆弾が雨のように振り落とされてきました。
その爆弾が、もしも、動物園に落ちたら、どうなることでしょう。
檻が壊されて、恐ろしい動物たちが街へ暴れ出したら、大変なことになります。
そこで、ライオンも、トラも、ヒョウも、クマも大蛇も、 毒を飲ませて殺したのです。
三頭の象も、いよいよ殺されることになりました。
まず第一に、いつも暴れん坊で、言う事を聞かない、ジョンから始めることに成りました。
ジョンは、ジャガイモが大好きでした。ですから、毒薬を入れたジャガイモを、普通のジャガイモに混ぜて、食べさせました。
けれども、利口なジョンは、毒のジャガイモを口まで持っていくのですが、すぐに長い鼻で、ポンポンと、遠くへ投げ返してしまうのです。
仕方なく、毒薬を身体へ注射することになりました。
馬に使う、とても大きな注射の道具と、太い注射の針が支度されました。
ところが、象の身体は、大変皮が厚くて、太い針は、どれもぽきぽきと折れてしまうのでした。
仕方なく食べ物を一つもやらずにいますと、可愛そうに、十七日目に死にました。
続いて、トンキーと、ワンリーの番です。
この二頭の象は、いつも、可愛い目をじっと見張った、心の優しい象でした。
ですから、動物園の人たちは、この二頭を、何とかして助けたいと考えて、遠い仙台の動物園へ、送ることに決めました。
けれども、仙台の町に、爆弾が落とされたらどうなるでしょう。
仙台の街へ、象が暴れ出たら、東京の人たちがいくらごめんなさいと謝っても、もうだめです。
そこで、やはり、上野の動物園で殺すことになりました。
毎日、餌をやらない日が続きました。
トンキーも、ワンリーも、だんだん痩せ細って、元気が無くなっていきました。
時々、見回りに行く人を見ると、よたよたと立ち上がって、
「餌をください。」
「食べ物をください。」
と、細い声を出して、せがむのでした。
そのうちに、げっそりと痩せこけた顔に、あの可愛い目が、ゴムまりのようにぐっと飛び出してきました。
耳ばかりが物凄く大きく見える哀しい姿に変わりました。
今まで、どの象も、自分の子供のように可愛がってきた象係の人は、
「可哀相に。可愛そうに。」
と、檻の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。
すると、トンキーと、ワンリーは、ひょろひょろと身体を起して、象係の前に進み出たのでした。
お互いにぐったりとした身体を、背中で凭れ合って、芸当を始めたのです。
後ろ足で立ち上がりました。
前足を折り曲げました。
鼻を高く上げて、万歳をしました。
萎び切った身体中の力を振り絞って、芸当を見せるのでした。
芸当をすれば、昔のように、餌がもらえると思ったのです。
トンキーも、ワンリーも、よろけながら一生懸命です。
象係の人は、もう我慢できません。
「ああ、ワンリーや、トンキーや。」
と、餌のある小屋へ飛び込みました。そこから走り出て、水を運びました。
餌を抱えて、象の脚に抱きすがりました。
動物園の人たちは、みんなこれを見てみないふりをしていました。
園長さんも、唇を噛み締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。
象に餌をやってはいけないのです。
水を飲ませてはならないのです。
どうしても、この二頭の象を殺さなければならないのです。
けれども、こうして、一日でも長く生かしておけば、戦争も終わって、助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。
けれども、トンキーも、ワンリーも、ついに動けなくなってしまいました。
じっと身体を横にしたまま、動物園の空に流れる雲を見つめているのがやっとでした。
こうなると、象係の人も、もう胸が張り裂けるほどつらくなって、象を見に行く元気がありません。
他の人も苦しくなって、象の檻から遠く離れていました。
ついに、ワンリーは十幾日目に、トンキーは二十幾日目に、どちらも、鉄の檻にもたれながら、やせこけた鼻を高く伸ばして、万歳の芸当をしたまま死んでしまいました。
「象が死んだあ。象が死んだあ。」
象係の人が、叫びながら、事務所に飛び込んで飛び込んできました。
拳骨で机を叩いて、泣き伏しました。
動物園の人たちは、象の檻に駆け集まって、みんなどっと檻の中へ転がり込みました。
象の身体にとりすがりました。
象の身体を揺さぶりました。
みんな、おいおいと声をあげて泣き出しました。
その頭の上を、またも爆弾を積んだ敵の飛行機が、ごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。
どの人も、象に抱きついたまま、こぶしを振り上げて叫びました。
「戦争をやめろ。」
「戦争をやめてくれえ。やめてくれえ。」
後で調べますと、盥位もある大きな象の胃袋には、
一滴の水さえも入っていなかったのです。
その三頭の象も、今は、このお墓の下に、静かに眠っているのです。
動物園の人は、目を潤ませて、私にこの話をしてくれました。
そして、吹雪のように、桜の花びらが散り掛かってくる石のお墓を、いつまでも撫でていました。
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