号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

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*

親が子供を

   

母の葬式の時、祖母(母の実母)は
「親が子供を送ってはいけないんだよ」
と言って、斎場から火葬場への車に決して乗ろうとしなかった。

俺は子供ながらにも疑問に感じ、
「何で?何で?」
と泣きながら何度も聞いた。

でも、無駄だった。

祖母は、お嬢様育ちで、おっとりした鷹揚な人だった。

それに対して、母は、所謂「いらち」で、ヒステリックなタイプだった。

母は、祖母のやることなすことにイライラしどうしだったし、祖母は、母の監視・小言を持て余していた。

よく喧嘩もしていた。

母が息を引き取った時も、通夜・葬式でも、祖母はまったく涙を流さなかった。

だから、この時も、
「ママのこと、そんなに嫌い?おばあちゃん、冷たいよ」
と思った。

でも、見てしまった。

火葬場から帰って来た時、祖母は母の遺品(というより、入院中の荷物)を整理しながら、家の中で、一人泣いていた。

当たり前なんだけど、祖母にとって母は娘だった。

あとで聞いた話だが、子供の俺のことを思うと、俺の前では泣いてはいけないと思った、と祖母は言った。

今でも、
「親が子供を送ってはいけない」
という決まりがあるのかどうか、定かなことは知らない。

 - 家族の泣ける話

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