おばあちゃんへ
おばあちゃん、最後に会いたかったなぁ。
私のおばあちゃんは誰もが信じられないくらい、あっという間に亡くなってしまいました。
私はちょうど、娘の扁桃摘出の手術の為に病院で寝泊まりをしていました。
入院する日に電話で喋った時は元気な声だったし、何の心配もしていなかったんだけど。
娘の退院が決まり、母に電話したら
「○○(ウチの娘)が入院してたし、心配かけたくなかったんだけど…
おばあちゃん倒れたの」
いつもシャキシャキしてる、おばあちゃんだったから母も私もまだ死なないって思ってた。
それから数日後、母からの突然の電話でおばあちゃんの死を知らされました。
私の悪い所も助けてくれたおばあちゃん。
結婚を喜んでくれたおばあちゃん。
ひ孫を可愛がってくれたおばあちゃん。
だけど、私はおばあちゃんに何もしてあげられなかった。
心配かけてばかりの孫だったね。
せめて最後に会いたかったなぁ。
いつまでも見守ってね!
関連記事
-
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真…
-
ママを産んだのは
私が4歳の時、父と母は離婚した。
祖父母と同居していたため、父が私を引き取った。
母は家を出て行く日に私を実家に連れて行った。
家に戻ると母はドアの所で
「おばあちゃんちに又行かなきゃいけない…
-
心に残る思い出、何もなし
小中学校の卒業文集にさえ
「心に残る思い出、何もなし」と書いた私。
人並みの生活を送ることさえ出来ず、夢と希望は常に打ち砕かれ、
ただ目の前の出来事を受け入れることに専念した。
世の中に失望していたわ…
-
手をつないで
うちのハハオヤが言ってた話。
私は、年子の女2人姉妹の妹なんだけど、姉は生まれたときからすごく
手のかからないおとなしい子だったらしい。姉が一歳三ヶ月で私が生ま
れてからも、それは変らず、母はそれに…
-
じいちゃん
2人の大好きなじいちゃん
母方のじいちゃんは
大工でカメラが大好きだった
僕は初孫だったのでたくさん
写真も撮られたし可愛がって
もらった
いつも『アンポンアンポン』って
言われてた
中学の時から部…
-
カマボコ
私が小学1年生の時に事故で両親が死に、それ以来おじいちゃんと2人で暮らしていた。
おじいちゃんは料理などできなかったけれど、私のために毎日質素ながらご飯を作ってくれた。
ご飯と納豆、とかご飯と缶詰め、…
-
兄が交通事故で亡くなりました
スレ違いな話になってしまいますが、報告させて下さい。
前スレで、父が家を出た後、優秀だった兄が中学卒業後、
鳶職として家計を支えてくれた話を書いた者です。
その兄が、先週、火曜日に交通事故で亡く…
-
娘が作ったお弁当
午前3時、実家から電話。急いで来て欲しいと母。
行ってみると癌を患っていた父が冷たくなっていた。
おろおろする母を一人にはできず、急いであちこちに連絡。
「そういえば今日は息子の遠足の日だ…
-
俺には二つ下の病弱な妹がいる
俺には二つ下の病弱な妹がいる。
妹は腎臓の病気を患っているため幼い頃から入退院を繰り返していた。
俺は病弱故に両親の関心を独り占めする妹を嫌って辛く当たっていたが、
ある時(小学校高学年)、妹を…
-
お父さんは忙しいんだから
女房が来月3人目を出産するんですけど、そろそろ40歳ということもあり、妊娠当初からとても辛そうでした。
私は自営業の特権というか、時間が自由になるので、家事と上の2人の子供(6歳と3歳)の世話を全部…