号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

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ばあちゃんのノート

   

うちのばあちゃんは俺が小学校高学年のときに蜘蛛膜下出血で救急車で運ばれた

深夜に発病したが元看護士だった母の早い対応のお陰か一命を取り留めた。が、やはり後遺症が残ってしまった。

右半身に麻痺が残り歩くこともままならない状態で当然それからばあちゃんの介護生活が始まった。

それからは消防の俺にとっては結構なストレスがかかることばっかりだった。

ばあちゃんのせいで楽しみにしていた家族旅行は行けなくなるし、親がいないときはばあちゃんに何があるか分からないから友達と遊べないとか、とにかく色々規制がかかった。まだ子供だった俺は知らず知らずのうちにばあちゃんのことを憎み始めていた。

それからは酷い話だがやっと言葉が喋れるようになった弟に
「ばあちゃんうざい」
とか
「ばあちゃん気持ち悪い」
とか言わせたり、多分もっと酷い言葉も言わせていた。

他にもばあちゃんが手伝って欲しくて俺を呼んだときも無視したりした。

本当に最低なことをしていた。

それから一年後ばあちゃんはガンにかかり入院中に息を引き取った。

確か俺が小学六年生のときだった。

葬式の準備をしていてばあちゃんの部屋の遺品を片付けていたとき、何冊ものノートを見付けた。

中を見てみるとばあちゃんが昔から書いていた日記帳がわりにしていたノートだった。

病気が発症する前から亡くなる一ヶ月前まで一日も欠かさず付けていた日記だ。

古いのから順に読んでいくと両親が結婚したこと、俺や兄弟が生まれたときのこと等が書き込まれていた。

『よく毎日書けるな…』
ぐらいにしか思ってなかった。

そしてノートに書かれた文字がいきなり汚くなっていた。

そのページの日付を見ると最初に蜘蛛膜下出血で運ばれて退院した日だった。

ノートの行五つくらい使ってがたがたに歪んだ大きい文字、漢字が一個も使われてなくてみんな汚い平仮名だった。

ばあちゃんこんな字になっても日記を書き続けてたんだ…と思い内容を読んでみるとそこにはやはり汚い平仮名で

『きよう 〇〇←俺の名前くんにおかゆ たべさせてもらう おいしいかつた』

『きようは 〇〇のすきなおかしを □□←母の名前がかつてくる 〇〇よろこんでた』

とか弟や俺や妹のことについていっぱい書かれてた。

俺がやってた酷いことなんて一言も書かれて無かった。

そして自分がどれだけ酷いことやってきたか馬鹿な俺はやっと分かったんだ

そして蜘蛛膜下出血してから態度が変わった俺のことをばあちゃんはどう思ったのかを考えたら涙がぼたぼた出てきた。

それで急いで座敷にあるばあちゃんの棺の前に行ってわんわん泣いた。

 - 家族の泣ける話

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