号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

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空手の先生

   

今から7年位前。高校生の時。
私は、小学校の時からなんとなくダラダラと続けた空手が1級になっていた。
当時、私の空手は「初段とったら履歴書に書けるな~。」程度のもので情熱はなく、
辞める区切りを探していた。
ウチの道場は、師範がボランティアでやっていた為、設備もなく金もなく練習日は週1。
師範も多忙な為、数少ない有段者が指導員だった。有段者といってもお情け(保留合格)で
初段を取った程度の志も技もないゲキモヤだった。(バッサイとジインしかできない程度)
昇段審査の半年前、他の支部で空手を3年間やってたという30前半のオジサンが練習に
加わった。
オジサンは、別に師範でも何でもないが教師だった為、「A先生」と呼ばれていた。
A先生はやる気の抜けた道場に必ず30分前に到着し、終了後も黙々と練習をしていた。
頼んでもないのにミットを手伝ったり、掛稽古に乱入してきたり、型の総評を始めたり、
そういう人だった。

A先生の情熱は、すさんだ道場内では空回りを続けていた。18、9歳くらいの有段者に
組み手という名目でボコられたり。徹底的にシカトされたり。それでも、先生は、前以上の
熱意と情熱を練習にぶつけていた。
しばらく経ったら、有段者は全員辞めていた。理由は「ウザイ人がいる」
私は情熱こそ無かったが、初段は欲しかったので、練習には参加していた。
ある日、A先生が私に言った。「有段者もいなくなった、1級の俺たちがココを引っ張って
行こう。そして必ず初段を取って、指導員として空手を普及させて行こう。」
当時の私は「(゚д゚)ハァ?俺、初段取ったら辞めますよ(ゲラ」と答えた。
「お前もアイツらと同じなのか!?」
「似たようなものデス(ワラ」と答え、道場から帰ってきた。
その後、私もA先生がウザクなり道場に行くのを辞め、黒帯も諦めた。

その2週間後、A先生から電話や人づてで執拗に戻って来いコールがあった。
しまいには、他校の教師なのに、ウチの高校に来てまで説得するありさま。
顔を見れば「武」「義」「勇」の意味やら「空手の素晴らしさ」、「強さの定義」、
「空手家の理想」などおよそ武道論なるものを半強制的に講義していく。
最初は、ウザかったが、私の事を想っての沙汰だと気付くのに時間はかからず、
気が付けば、私にもA先生の情熱が感染していた。

やがて、昇段の日が来て師範と一緒に3人で本部のある東京に行く。結果は2人とも
合格だった。
初段を取って1ヵ月後、T先生は勤務地が変わったらしく、ウチの道場に来られなくなった。
最後の日、先生は私に「頑張れよ!指導員!次はは二段をいっしょに受けよう」と言って
去っていった。

先生がいなくなった道場は、時間とともに昔の道場に戻っていった。
やがて私は、社会人。道場も人は少ないながらもまとまりを見せるようになっていた。
A先生のことは、その後、思い出すこともさほどなかったが、大会や約束した昇段審査
にも現れない。
ちょうどその頃、A先生の学校に通っている工房がウチにいたので聞いてみたら、体調を
壊して学校にも来ていないとのこと。心配になりお見舞いに行くことにした。
久しぶりに会って、正直驚いた。そこには、私の知るA先生はいなかった。
80Kはあるだろうと思われた大男は、40k位のミイラの様にガリガリにやせ細っていた。
6帖の部屋が大きく見えるくらいに小さくなっていた。
窓の上には、私と1番しか違わない全空連の初段の認定状が黄色の額縁に入っていた。
話を聞けば、「ただの胃潰瘍。そのうち直る」とのこと。病気で弱っていても空手を語る時の
目の輝きや暑苦しく力説する姿は、あの頃のままだった。
「早く治して平安からやり直したい」と元気に語るA先生を見て少しホッとしていた。
帰りがけに、A先生は「そのウチお前のところに練習しに行くからな!絶対!」と
言ってくれた。

数ヵ月後、A先生は約束どおりに家族を連れてウチに来てくれた。
しかし、身体は、前以上にやせており、毛も少し抜けていた。
当然練習できる状態ではなく、見学程度で家族に技や型の解説をしていた。

A先生をみて他の練習生が「ガンじゃないのか?」と騒いでいた。私も、同感だった。
帰りがけにA先生は、
「生涯、武道を続ける事ができれば。いつ死んでも、それが勝者だよな?」と私に聞いた。
この台詞はウチの師範の口癖だった。
(要は「強くなる事」や「段位」が武道の目標ではなく、その過程の心身を生涯鍛錬し続けて普及させていく行為が本質みたいな意味)
私は、なんとなく、死ぬことを宣言されているようでイジわるな答えをした。
「いや、死ぬまでではなく、長くやらなきゃダメですよ。あと30年はやらなきゃダメでしょう。」しばらく黙ったA先生は、ため息をついて、「そうだよな・・・。また来るわ。」と力なく語った。

A先生は公民館の長い暗い階段を奥さんに支えられながら下りていった。
やがて、2人が見えなくなった時に壁に立てかけてあったサイがひとりでに倒れて、縁起でもない音を出していた。

それが、A先生とは最後の会話となった。

やがて、いろんな情報が入ってきた、亡くなったこと。胃癌だったこと。
ウチに入門した頃には発症していたこと。

告別式に道場の代表として参列したが、冷たくなったA先生を見たとき、ツラクなった。
どうして、あの時、「いつ死んでも勝者」の問いを肯定しなかったのだろうか。
細い身体、折れてしまいそうな足、肉のない腕、
そして、それとは逆に赤く新しい拳タコができて潰れた拳。
最後まで、拳を鍛え空手家でありたかったのだろうと思い、余計にツラクなった。

自分は空手に命をかけているワケでもなければ、メシを喰ってるワケでもない。
指導員としてそれなりの段位も取ったが、技も人格も段位負けしている。
しかし、自分と少ない仲間がA先生からもらった形見である情熱や空手の楽しさを
ウチに来るの「クソジャリ共」「ダイエット目的のOL」「ケンカ目的のDQN」
「健康志向のリーマン」らに伝えて行きたい。
別に供養にもならないだろうが、練習生をみているとそうしたくなってくる。
同門の指導員が言うには、私らの中でいまだにA先生が空手をやってるとのコト。
黙祷。

 - 学校での泣ける話

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