「バナナはおやつに入りますか?」
小学校の頃、家はどうしようも無く貧乏だった。
父親を交通事故で無くし母一人子一人の母子家庭だった。
小学校の時、俺は遠足におやつを持っていく事が出来なかった。
前日のホームルームで「バナナはおやつに入りますか?」
と戯けるクラスメートを横目に絶対いかないと心に決めていた。
放課後帰ろうとする俺を理科室に来るよう担任の先生に言われた。
理科室へ行くと先生は目に涙を浮かべながら300円を握らせてくれた。
そして続けてこういわれた。
「いいか、お前は他の子よりも先に人生の不条理や苦痛を感じられ幸せだと思え。
親の代では負けたかもしれない、でも其れはお前の責任じゃない。
この悔しさをバネに伸し上がってお前の代では勝て。
もしお前の子供が悲しい思いをする事があったら其れはお前の責任だ。
金をやるのは一回だけだ。大切に使え。」
俺はその時買ったビックリマンのチョコの味を忘れない。
そしてそのシールは、今でも大切に保管している。
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