号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

号泣必至!!超泣ける話200話超デラックス

*

ありがとう、ありがとう

   

もう、すごく昔の話。
小学2年のとき父が交通事故で逝ってしまったので、
弁当がそれからしばらく白飯に梅干とか漬物とか
そんなんばっかりだったときがあった。
でも子供ながら事情はなんとなくわかっていたので、
別に気にしていなかった。

運動会の時、ウチの母は仕事で来れなかったんだけど、
「遅くなるけど迎えにいくからね」と運動会の後の
片付けが終わった夕方頃、迎えに来たんだけど、
そのとき、クラスのコがそのコのママに「私も○○ちゃん
みたいなご飯のお弁当がいい」って言ったのを聞いて
母は真っ赤になっていた。
そのコには悪気はなかったんだけど、母は恥ずかしかった
んだと思う。

何日かたってから、大根煮たのとかサトイモとか質素だけど
おかずが入るようになった。

でもね、学校帰りに近所の農家で深々と頭を下げて
お礼を言っている母を見つけたときは、つい隠れてしまった。

それから帰って母に「お漬物のお弁当がいい」って言ったのを
覚えてます。母は泣いてしまいました。

そんな母を3年前くらいですが、銀座の道場六三郎さんの
お店に連れて行ってあげました。
「美味しい、美味しい」って言いながら食べてました。
私はそんな母を涙を浮かべながら心の中で
「ありがとう、ありがとう」といいながら見つめてました。

 - 家族の泣ける話

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