置き手紙
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。
それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、
おしょう油を少し入れなさい。」
その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切ってしまった。
皆で、お父さんのところに行こう。私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。
二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていた。
かべの子供たちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。
お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。
でも、けんちゃんにそれをだしたら、
「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」
と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。
ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、
お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。
お母さん、おやすみなさい。」
目からどっと、涙があふれた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、
しょっぱい豆を涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。
関連記事
-
お疲れ様でした
弟の話。俺が中3、弟が小5の時。
俺は小学校からずっとサッカーやってて、大変だったけど勉強も両立させて中学受験で私立に入った。
弟は昔から小柄で運動神経のいいやんちゃ坊主だったんだけど、どこか常に…
-
ばあちゃんのノート
うちのばあちゃんは俺が小学校高学年のときに蜘蛛膜下出血で救急車で運ばれた
深夜に発病したが元看護士だった母の早い対応のお陰か一命を取り留めた。が、やはり後遺症が残ってしまった。
右半身に麻痺が残り…
-
親が子供を
母の葬式の時、祖母(母の実母)は
「親が子供を送ってはいけないんだよ」
と言って、斎場から火葬場への車に決して乗ろうとしなかった。俺は子供ながらにも疑問に感じ、
「何で?何で?」
と泣きながら何度…
-
ばあちゃんは嬉しいです。
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
…
-
心に残る思い出、何もなし
小中学校の卒業文集にさえ
「心に残る思い出、何もなし」と書いた私。
人並みの生活を送ることさえ出来ず、夢と希望は常に打ち砕かれ、
ただ目の前の出来事を受け入れることに専念した。
世の中に失望していたわ…
-
久しぶりの団欒
夫婦仲良くできず、子供(当時3歳)と3人で飯食うこともほとんど無かった。
ある日俺がたこ焼きを作って家族3人で食った。子供も嫁もなんか久しぶりの団欒だった。
みんな沢山食った。
その後、子供…
-
君がいるから
御歳84になるおじいちゃんが言いました。
「僕はね、昔、まあ今もだけど。運動も勉学もロクにできなかった」
「友達もいないし。顔も悪い。いつもひとりぼっち」
「だから、死のうと思ったことがある」
…
-
腹の虫
当時、学校の土曜日授業は午前中までだったので
お昼ゴハンは家で食べるのが常でした。
いつもの土曜日、元気よく俺が帰ると
土曜日は居るはずの母さんが居ませんでした。
どうやら出掛けたのでしょうか、俺はマ…
-
娘が作ったお弁当
午前3時、実家から電話。急いで来て欲しいと母。
行ってみると癌を患っていた父が冷たくなっていた。
おろおろする母を一人にはできず、急いであちこちに連絡。
「そういえば今日は息子の遠足の日だ…
-
最高の一杯
おじいちゃんとの思い出。
おじいちゃんは7年前に遠くに行ってしまったけど、俺の中で忘れられない思い出があります。元々、母が長女でおじいちゃんとおばあちゃんとは、ずっと一緒に暮らしていました。よく夜…
- NEXT
- おばあちゃんへ